☆☆☆ 総務委員会よりお知らせ ☆☆☆

    ◇◇ 東浦和校主催公開講座のご案内 ◇◇

              25名参加予定~4.27現在        2018.4.1

 東浦和校協議会が主催する講座が下記の通り開催されることになりましたので

お知らせ致します。

                記

   1.開催日時 : 平成30年5月15日(火)9:30

   2.開催場所 : 浦和コミュニティーセンター 多目的ホール

   3.講  座  名 : 「西郷隆盛 勝海舟」

   4.講        師 : 永富四郎 先生

   5.整理券代 : 100円

※参加希望者は各班で取り纏め、4月13日(金)まで総務担当(加賀見)まで

 メールにて報告して下さい。(期限厳守)

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勝海舟=西郷隆盛を最も理解した男』

        ☆永冨明郎先生の講演会メモ☆

勝海舟の生涯を家系図まで使っての説明では、3代前に旗本の株を購入して途中から徳川家の御家人になった41石取りの無役の家柄でした。

青春時代は剣道に精進して新陰流の免許皆伝となるが、剣では先行きが見えないと、23歳から蘭学を学び、勉学の為、住まいも赤坂氷川神社のそばに移り生涯

暮らします。また、パトロンの商人達にも恵まれました。

1853年ペリー来航に伴い、「意見書5か条」を提出し、幕府の阿部老中の目が、勝は、西郷と同じく日本全体のことを考えていました。 勝46歳の時、日本の歴史に残る江戸城無血開城となります。

に留まり、33歳の時役人として登用され、勝の活躍がここからはじまります。

幕府では、海軍の先駆者として、長崎海軍伝習所で3期まで学び、途中1858年3月幕府の軍艦「咸臨丸」で薩摩藩を訪問し、島津斉彬や大久保と面会。

1860年には、咸臨丸で船長として通商条約締結の為渡米、1862年には、軍艦奉行になり、63年、神戸海軍操練所所を設立し、坂本龍馬ら入門。

1864年には、大阪で西郷吉之助と長州征伐の件で会談。

幕府終焉に向けて、主戦論者の筆頭・小栗忠順が解任され、勝海舟が幕府の総責任者になる。小栗は三河以来の徳川家の名門で、徳川家の安泰しか考えなかった

1868年3月13,14日に勝と西郷が会談し15日予定の江戸総攻撃は、中止となり、4月11日には、江戸城無血開城となり、慶喜は水戸にて謹慎となります。

その後、勝は明治新政府から再三役職を任じられるも全て短期で辞任し、旧幕臣の就職斡旋に尽力しました。明治20年、伯爵(従2位)となる。

明治10年西南戦争で西郷隆盛が敗死し、西郷隆盛の追悼、顕彰に尽力し、明治22年、西郷が大赦を受け名誉回復となる。

勝海舟、明治32年77歳で脳溢血で急逝。

最後に、勝海舟の特徴は、最下級直参から幕府のトップとなるが、その立脚点は、日本全体にとってなにがベストかを常に考え行動した人でした。

 

歴史紀行作家・永富明郎先生の休憩無しでの1時間40分は、話に引き込まれる素晴らしい歴史講義で、充実したひと時でした。                        nakaoレポート

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